Sep 17, 2010
名刺管理を携帯電話にする
前の職場での名刺は、お客様に伝えるだけのものだったので、交換することもなく、名刺管理の必要もなかった。ただし、営業職の人はよく名刺を受けることがあるだろうから、名刺管理も重要な事柄の1つだ。整理し、特徴を記入するという話を聞いたことがあるが、最近では携帯電話にバーコードリーダーを使用してインポートすることがあってそこで名刺の管理をする人もいると聞いたことができます。検索の合理化をどのように行く名刺の管理は特に重要になるです。名刺の管理が上手な人は、取り扱い方法も丁寧にしたものです。名刺は非常に重要な存在になってくる。コミュニケーションの一環として捉えておくようにしましょう。効率的に確認できるように、さらに研究を進めていきましょう。
「人的被害の大きさから、みなさま方に被災した動物園・水族館への支援はお願いしてきませんでした。動物園・水族館への支援は日本動物園水族館協会が受けつけています」
広島市安佐動物公園(安佐北区)のホームページに掲載されたお知らせです。東日本大震災の発生以降、同園では義援金箱を設置するなどして支援に取り組んでいますが、現地の動物たちへの援助にはあえて触れてきませんでした。「人への支援最優先」という思いに対する配慮からです。そして、ようやく最近になって、動物や関連施設への支援呼び掛けを“解禁”。それが冒頭のお知らせです。ただこの間、現地の仲間たちへの支援について、手をこまぬいていたわけではありません。全国の動物園の援助が、多くの動物たちの命を救うために役立っていたのです。
震災直後のやり取りを示すメモが安佐動物公園に残っています。
3月13日/八木山(仙台市の「八木山動物公園」)で飼料が不足。至急送ってほしい▽13日/福島水(福島県いわき市の水族館「アクアマリンふくしま」)より海獣・海鳥等の緊急避難要請▽16日/八木山から水の輸送要請▽18日/八木山でペンギンの餌不足−−
現地から次々に寄せられるSOS。津波で大きな被害が出た「アクアマリンふくしま」だけでなく、他の動物園でも、助かった動物の深刻な餌不足が伝わってきます。
「実際に何が必要なのか。的確な援助のために役立ったのは、園長や職員たちのつながりでした」。安佐動物公園の大丸秀士園長はそう振り返ります。比較的被災地に近い動物園を救援物資の集積地にするなど、各地の園長らのネットワークを活用して、効率的な援助、輸送経路を構築していったそうです。実際、安佐動物公園でも、発生直後はお茶や飲料水などを送っていましたが、3月20日には、「冷凍マウス700匹、冷凍ピンクマウス5000匹……」との記録が示すように、必要とされる餌を大量に発送。高知県からの支援(餌の果実)の中継地にもなりました。
大丸園長によると、現地の園長や館長は、物資に対する感謝はもちろんですが、それ以上に「各地の仲間たちの存在に励まされた」「『見放されていない』と思えた」などと話していたそうです。そんな支援にも支えられ、「八木山動物公園」は既に再開。「アクアマリンふくしま」も7月中の再開に向けて努力が続いています。【広島支局長・亀井正明】<題字は毎日書道会評議員・貝原司研氏>
6月27日朝刊
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第56回全国高校軟式野球選手権県予選大会(県高野連など主催、毎日新聞広島支局・朝日新聞広島総局など後援)の組み合わせ抽選会が26日、呉市スポーツ会館であり、対戦カードが決まった。西中国大会を目指し、熱戦が繰り広げられる。
大会は15校が参加し、7月26〜29日、呉市二河野球場とコカ・コーラウエスト野球場(西区)で開催される。トーナメント戦で2ゾーンから勝ち上がった2校が、8月8、9日にコカ・コーラウエスト野球場で行われる西中国大会に出場する。
呉市二河野球場で7月26日に行われる県予選開会式では、崇徳3年、藤元哉主将が選手宣誓をする。【北浦静香】
6月27日朝刊
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「私たちが忘れない限り 平和は続くだろう だからこそ 忘れてはいけない この地には たくさんの笑顔が たくさんの夢が 眠っていることを」
岡山県内も猛暑に見舞われた23日、「慰霊の日」を迎えた沖縄の追悼式で、中学2年の女子生徒が自作の詩を読み上げていました。元小学校教員の祖母に見せられた教え子たちの写真と長い沈黙。そして、「戦争さえなかったら みんな幸せだったのに……」という重い言葉。「この地」には「忘れてはならない」という戦没者の無言の叫びにあふれ、人の心を揺り動かし続けていることが、痛いほど伝わってきました。
沖縄戦をモチーフに平和を願う歌「さとうきび畑」のルーツを取材したことがあります。作詞作曲した寺島尚彦さんは1964年、シャンソン歌手、石井好子さんのピアノ伴奏者として、パスポートを手に初めて沖縄を訪れました。そして、地元の人の案内で戦跡を巡り、サトウキビ畑の中で告げられた言葉に衝撃を受けます。
「あなたの足の下には今も戦没者の遺骨が眠っています」
吹き抜ける風の音が、まるで戦没者の怒号や嗚咽(おえつ)に聞こえました。音楽家として、凄惨(せいさん)な沖縄戦を本土の人々に伝えたい。でも、あの風の音をどう表現すればいいのか。悩み抜いた末に生まれたのが11番で計66回繰り返される「ざわわ」だったのです。
寺島さんが立ちすくんだ場所は、糸満市の摩文仁(まぶに)のあたりでした。ここに建つ「平和の礎(いしじ)」には、主に沖縄戦で亡くなった24万1132人(23日現在)の名前が刻銘されています。このうち、岡山県関係者は1838人。中四国では愛媛県(2085人)に次いで多く、岡山空襲の犠牲者(少なくとも1737人。2000人を超えるという説もある)と同じ規模です。どちらも忘れてはならない歴史です。
歌に込められた平和への祈りを沖縄から永遠に発信しようと今、「さとうきび畑」の歌碑を建てる取り組みが始まっています。場所は沖縄本島中部の読谷村(よみたんそん)。沖縄戦の米軍上陸地点の一つで、歌詞にあるように、海の向こうから戦がやってきた地です。歌碑建立実行委員会も結成され、本土復帰40年の節目となる来年、米軍上陸と同じ4月1日の完成を目指して募金を呼びかけています。
寺島さんも石井さんも既に亡くなられました。「本当はこの歌が歌われない世の中が一番いいんです」。寺島さんは自ら作り上げた「さとうきび畑」が世に知られていくにつれ、そう話すことが多くなったそうです。私が電話で話を聞いた時も同じでした。いつか歌碑を訪れた人が「こういう歌が必要な時代があったのか」と不思議そうに眺めている。寺島さんは、そんな日が来るのを空の上で待っているに違いありません。
歌碑の問い合わせは、読谷村観光協会内の実行委(098・958・6494)。【岡山支局長・斉藤貞三郎】
6月27日朝刊
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