Feb 09, 2010
引越しの準備に苦労をしたこと。
実家で初めて一人暮らしをする場合には、引越しの準備が大変でした。一人の取締役は、初めてだったので、引越し準備の手順をよく知らず、これを取ることになるのかと、どのようにしてダンボールに荷物を入れるといい岡山また、どのようにして梱包すると破損しにくいか。などを考えるのが大変でした。キッチンリフォームは、使いやすさにこだわってみましょう。家事は毎日するので、使いにくいリフォームをしまうと後が大変です。特に注意したいのは、ストーブと換気扇のカウンターランクです。予算の問題があるが、あまりにも妥協も後悔することになります。毎日使用するので、機能はなるべく落とさずても全体を調整しましょう。
昨年のK―1ワールドMAX日本王者の長島☆自演乙☆雄一郎(26)=魁塾=が5日、東京・後楽園ホールで行われた「ブシロードレスリング」でプロレスデビューを果たし、白星を飾った。14分3秒、飛びつき式回転十字固めで佐藤耕平(33)=ZERO1=を破り「感無量です」と笑顔。主戦場とするK―1は次回開催が未定だが「前もってスケジュールが分かれば、しっかり体は作る。プロレスもオファーがあれば、そのとき考える」と慎重だった。
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◆レッドソックス3―5エンゼルス=延長13回=(4日・ボストン) レッドソックスの松坂大輔投手(30)が4日、本拠のエンゼルス戦で、延長13回に渡米後初めて緊急リリーフ登板した。2時間35分の降雨中断もあり、マウンドに上がったのは日付の替わった深夜2時27分。しかし、2死満塁からアブレイユに決勝2点適時打を浴び、1回を3安打2失点。今季3敗目(2勝)を喫した。予定されていた6日(日本時間7日)のツインズ戦先発はなくなった。
日付がとっくに替わった午前2時27分、松坂の救援機会が訪れた。メジャー5年目で初の「緊急事態」。3―3の延長13回。ブルペンから松坂が8番手でマウンドへ向かった。が、待っていたのは無残な結末だった。
先頭のケンドリックに一塁強襲安打を許し、2死後、ボアジャスに右前打、続く四球で満塁とされ、アブレイユに右前へ2点適時打を浴びた。その裏、味方打線は3者凡退で力尽き、午前2時45分、5時間のロングゲームが終了。松坂に今季3敗目がついた。
5回途中に2時間35分の降雨中断した試合はもつれた。中継ぎ投手ジェンクスが試合中に右腕に違和感を訴えて使えなくなり、3日前の先発ウェイクフィールド、3連投のバードを含め6人を投入。最後は、2日後の6日ツインズ戦先発に備えて試合前のブルペンで38球を投げていた松坂までつぎ込んだ。フランコーナ監督は「どうしようもなかった」と説明した。
延長10回の時点から、松坂もベンチでグルグル腕を回すなど意欲を見せた。過去2回、ポストシーズンでブルペン待機の経験はあるが、救援登板はゼロ。しかし、この日は11回表にブルペンへ移動して準備。13回から登板したが、直球のMAXは91マイル(約146キロ)で制球にも苦しんだ。志願登板とはいえ、前回登板で張りを訴えて降板した右肘の復調を印象づけることはできなかった。
「(ひじは)大丈夫です。何の問題もない」と語っていた松坂だが、無言のまま球場を後に。指揮官は試合後「いろいろと話し合うことがある」としてエプスタインGMと首脳会談を持った。
そして5日午前に出した結論は「先発は白紙。1日に2度(ブルペンと試合で)投げている。シーズンは長い」。その後の登板予定も未定だけに、4日の救援登板の代償はあまりにも大きかった。
◆松坂の救援登板 渡米後104試合目で初のリリーフ登板。日本では西武時代に公式戦14試合、日本シリーズ2試合の計16試合。最後は04年10月25日、中日との日本シリーズ第7戦(ナゴヤD)で、それ以来約7年ぶりのリリーフ登板になる。なお、日本人メジャーで登板試合オール先発は1人もいなくなった。初登板からの連続先発記録は、野茂英雄投手の122試合。
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◆巨人1―2阪神(5日・東京ドーム) 小笠原がついに2000安打を達成した。プロ野球38人目、1736試合での到達は歴代4位のスピード記録となった。
2000回目の確かな感触が、小笠原を重圧から解放した。打球が二遊間を抜けていく。「よしっ!」。思わず叫んだ。8回1死。小林宏の内角高め、144キロの直球をはじき返した。「やはりここ数試合は意識していたと思います。個人のことだけ言わせていただければ、少しホッとしています」。大型連休最後の東京Dでの試合。その最終打席で生まれた記念の一打。一塁上でガッツは安どの息を吐き出した。
歩んできた道はエリートからほど遠い。高校時代の本塁打は0本。プロ入り後も、「3年やってダメなら野球を辞めるつもりだった」と覚悟を決めていた。「巨人ファンだけでなく、阪神ファンも祝福してくれて、本当にうれしかった」。場内の大歓声は、努力だけではい上がったガッツの正しさを証明していた。
「プロでお世話になった人のことを言い出したら時間が足りない。一人でも欠けたら、今の僕はいないから。自分一人ではこの記録は達成できなかった」。すべての人に感謝。しかし、大きな一本の“道”を通してくれた特別な存在はいる。日本ハムで同僚だった落合博満(現中日監督)だ。
今では多くを語らないが、プロ入りして間もない頃に「落合さんと出会い、打撃の感覚が変わった」と明かしている。小笠原の1年目と落合のFA移籍が同じ年ということも運命だった。人目のつかないところで黙々と独自の練習をする“オレ流”に目を奪われた。
影響を受けた一つが打撃練習。引っ張る練習を続けるとフォームの崩れが早い。落合は逆方向から中堅へ打ち返すことをくり返していた。元日本ハムの打撃コーチ・加藤英司氏は、小笠原のバッティングに少なからず落合の影響があったと説明する。「逆方向へ徹底的に打つ練習は調子の維持ができる。ファウルにする球のさばき方も身につき、ボールも長く見られる」
残り11本に17試合、72打席を要した“生みの苦しみ”の中、東京Dベンチ裏の打撃練習場で、試合前でもひたすら左方向中心に打ち込んだ。これこそ変わることのない原点だ。
原監督は「彼の良さは芯がぶれないところ。日頃の努力、ルーチン、それを崩さずにここまできたのが、こういう数字になった。2000安打目を見られて、さらに敬意を表したい」と賛辞を贈った。巨人にFA移籍した07年からリーグ3連覇は偶然ではない。チームの新しい道筋を作った小笠原の功績は大きい。
「道」―。ミットやバットに記された大きな文字。野球への思いが集約されていた。名前の一文字をとったものだが、意味するところは他にもある。「剣道」「柔道」と同じように「野球道」も人格を磨き、自らを成長させるというもの。「野球っていうのは一人じゃできない。目配り、気配りだよね。まずは周りへの感謝の気持ちが大事で、それがなければ、次の自分は動かせないんだ」
今年、この国は未曽有の大災害に襲われた。「このニュースが明るい希望、光になってくれればいいと思う」。今できることは野球を通して思いを伝えることだ。「次の目標? チームの優勝が大前提。個人では3000安打という人もいるけど、次の安打を打つことです」。これからも小笠原は安打を積み重ねていく。感謝の思いを込めながら。
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